フリードリヒ・フォン・プロイセン (1911-1966)

フリードリヒ・フォン・プロイセン(Friedrich von Preußen, 1911年12月19日 - 1966年4月20日)は、プロイセン王国の王族。全名はフリードリヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・クリストフFriedrich Georg Wilhelm Christoph)。最後のドイツ皇太子ヴィルヘルムの四男で、ヴィルヘルム2世の孫の一人。

フリードリヒ・フォン・プロイセン
Friedrich von Preußen
Kronprinzessin Cecilie mit Prinz Friedrich.jpg
母ツェツィーリエとフリードリヒ

出生 (1911-12-19) 1911年12月19日
ドイツの旗 ドイツ帝国ベルリン
死去 (1966-04-20) 1966年4月20日(54歳没)
西ドイツの旗 西ドイツラインハルツハウゼン城
配偶者 ブリジッド・キャサリン・レイチェル・ギネス
子女 アントニア 他
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ドイツ皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセン
母親 ツェツィーリエ・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーン
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生涯編集

フリードリヒは1911年12月19日ベルリンで、ヴィルヘルムとメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世の娘ツェツィーリエ(1886年 - 1954年)の間に第四子として生まれた。

1918年ドイツ革命で皇族としての地位を失い、1936年にはイギリスに渡った。第二次世界大戦が勃発すると拘束されカナダへ移送されたが、王太后メアリー(1867年 - 1953年、ジョージ5世妃)のとりなしによってイギリスへ戻った。1945年7月30日に第2代アイヴァー伯爵ルパート・ギネスの娘ブリジッド・キャサリン・レイチェル・ギネス英語版(1920年 - 1995年)と結婚し、三男二女をもうけた。二女のアントニア(1955年 - )は第9代ウェリントン公爵チャールズ・ウェルズリー英語版の妻となっている。

フリードリヒはイングランドハートフォードシャーで暮らしたが、ラインハルツハウゼン城ヘッセン州ダルムシュタット県)の所有者として時折ドイツを訪れていた。そして1966年4月20日、そのラインハルツハウゼン城で死去した。