ヘルマン1世 (ヴァイマル=オーラミュンデ伯)
ヘルマン1世(Hermann I., 1130年ごろ - 1176年10月19日)は、アスカーニエン家出身のヴァイマル=オーラミュンデ伯(在位:1167年 - 1176年)。
ヘルマン1世 Hermann I. | |
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ヴァイマル=オーラミュンデ伯 | |
在位 | 1167年 - 1176年 |
出生 |
1130年ごろ |
死去 |
1176年10月19日 |
配偶者 | イルムガルト |
子女 | ジークフリート3世 |
家名 | アスカーニエン家 |
父親 | ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト1世(熊公) |
母親 | ゾフィー・フォン・ヴィンツェンブルク |
生涯
編集ヘルマン1世はザクセン公・ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト1世(熊公)とゾフィー・フォン・ヴィンツェンブルクの息子である。母ゾフィーは、クヴェードリンブルク女子修道院長ベアトリクス2世の姉にあたる。イルムガルト(1174/80年7月31日没)と結婚し、ジークフリート3世をもうけた。
ヘルマンは父の在世中に父よりチューリンゲンの領地の統治をゆだねられ、1167年より伯とされた。1174年、チューリンゲン方伯ルートヴィヒ3世との対立によりヴァイマル城が破壊された。
参考文献
編集- Otto von Heinemann (1880), “Hermann” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 12, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 148–149
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