ベルトルト3世 (ツェーリンゲン公)
ベルトルト3世(ドイツ語:Berthold III., 1085年ごろ - 1122年12月3日[1])は、ツェーリンゲン公(在位:1111年 - 1122年)。初代ツェーリンゲン公ベルトルト2世の息子。
ベルトルト3世 Berthold III. | |
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ツェーリンゲン公 | |
在位 | 1111年 - 1122年 |
出生 |
1085年ごろ |
死去 |
1122年12月3日 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ツェーリンゲン公領、シュヴァルツヴァルト、ザンクト・ペーター修道院 |
配偶者 | ゾフィー・フォン・バイエルン |
家名 | ツェーリンゲン家 |
父親 | シュヴァーベン大公ベルトルト2世 |
母親 | アグネス・フォン・ラインフェルデン |
生涯
編集ベルトルト3世は神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世を支持し、1122年のヴォルムス協約に大きく関与した。ベルトルト3世はバイエルン公ハインリヒ9世の娘ゾフィーと結婚した。1122年12月3日、抗争中にベルトルト3世はモルスアイム近くで殺害され、ザンクト・ペーター修道院に埋葬された。
脚注
編集- ^ Stephan Molitor, Das Todesdatum Herzog Bertolds III. von Zähringen im Reichenbacher Seelbuch in Kopenhagen. In: Die Zähringer. Eine Tradition und ihre Erforschung, hrsg. von Karl Schmid (=Veröffentlichungen zur Zähringerausstellung I). Sigmaringen, Jan Thorbecke Verlag, 1986, pp. 37–42.
参考文献
編集- Ulrich Parlow: Die Zähringer. Kommentierte Quellendokumentation zu einem südwestdeutschen Herzogsgeschlecht des hohen Mittelalters (1999) pp. 125–156.
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