ペドロ・アメリコ
ブラジルの画家
ペドロ・アメリコ・デ・フィゲイレド・エ・メロ(Pedro Américo de Figueiredo e Melo, 1843年4月29日 - 1905年10月7日)は、ブラジルのアカデミック絵画の画家、著作家、美術教師。
ペドロ・アメリコ Pedro Américo | |
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自画像 | |
生誕 |
1843年4月29日 ブラジル,パライバ州アレイア |
死没 |
1905年10月7日 イタリア,フィレンツェ |
生涯
編集アメリコはパライバ州アレイア(Areia)に生まれた。1854年、リオデジャネイロ市に移り、そこで奨学金を得て、帝国美術学校(Academia Imperial de Belas Artes)に学んだ。さらに勉強するため、ヨーロッパに渡り、パリでドミニク・アングル、ジャン=イポリット・フランドラン、アントワーヌ・シャルル・オラース・ヴェルネの弟子となった。アメリコの絵は多くの称賛を得て、1868年にはブリュッセル自由大学(Université Libre de Bruxelles)で科学の博士号を取得した。
ブラジルに戻ると、一連の傑作を制作しはじめた。その中には、ブラジル全土であまねく知られている、ペドロ1世がポルトガルからの独立を宣言した、その瞬間を描いた『独立か死か!』が含まれる。この作品は数十年前から小学校の歴史の本に掲載されている。アメリコはフィレンツェとリオデジャネイロの両都市で、講師および美学史家としても活躍した。
アメリコはマヌエル・デ・アラウホ・ポルト=アレグレ(Manuel de Araújo Porto-alegre)の娘、カルロタ・デ・アラウホ・ポルト=アレグレ(1844年 - 1918年)と結婚した。共和制の宣言とともに、1890年には、国会議員にも選ばれた。
1905年、フィレンツェで没した。
作品
編集-
『愛と勉学の守護神に付き添われた夜』(1886)
ブラジル国立美術館蔵 -
『イザベル・ド・ブラジルの結婚式』(1864)
Museu Imperial 蔵 -
ペドロ2世 (ブラジル皇帝)(1872)
Museu Imperial 蔵 -
『A carioca(リオデジャネイロの女性)』(1888)
ブラジル国立美術館蔵
参考文献
編集- Pedro Américo. Encyclopaedia Itaú Cultural. [1]