ペーパー・ローゼズ」(原題: Paper Roses)は、フレッド・スピールマンとジャニス・トーレが作詞作曲した楽曲。アニタ・ブライアントの最大のヒット曲である。のちにマリー・オズモンドによってリバイバル・ヒットした。

「ペーパー・ローゼズ」
アニタ・ブライアントシングル
初出アルバム『Hear Anita Bryant in Your Home Tonight!』
B面 Mixed Emotions
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル ポップ
時間
レーベル カールトン
作詞・作曲 フレッド・スピールマン
ジャニス・トーレ
チャート最高順位
アニタ・ブライアント シングル 年表
ティル・ゼア・ウォズ・ユー
(1959年)
ペーパー・ローゼズ
(1960年)
My Little Corner of the World
(1960年)
ミュージックビデオ
「Paper Roses」 - YouTube
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アニタ・ブライアントのバージョン

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1960年4月、「アニタ・ブライアント・ウィズ・モント・ケリーズ・オーケストラ・アンド・コーラス」名義で発表された[1]。B面は「Mixed Emotions」。アルバム『Hear Anita Bryant in Your Home Tonight!』に収録された。

同年6月18日付のビルボード・Hot 100で5位を記録した[2]

マリー・オズモンドのバージョン

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「幸せのバラ」
マリー・オズモンドシングル
初出アルバム『Paper Roses
B面 オール・ユー
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 1973年6月7日
ジャンル カントリー・ポップ
時間
レーベル MGMレコード
作詞・作曲 フレッド・スピールマン
ジャニス・トーレ
プロデュース ソニー・ジェームズ
ゴールドディスク
ゴールドディスク
チャート最高順位
マリー・オズモンド シングル 年表
ペーパー・ローゼズ
(1973年)
In My Little Corner of the World
(1960年)
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兄弟であるオズモンズに随行しツアーなどで歌っていたマリー・オズモンドは当時13歳であったが、1973年にソロとしてデビューすることを決意する。彼女は兄弟たちとは音楽的な方向性が異なることを自覚しており、カントリー・ミュージックの世界に進むことを考える。やがてロサンゼルスMGMレコードと契約を交わした。

レコード会社重役のマイク・カーブは、兄のダニー・オズモンドがソロ・デビューにあたって「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」「パピー・ラブ」などのオールディーズもののカバーで成功を収めたという例があることから、マリーにも同じアプローチをすすめた。カーブが彼女のデビュー・アルバムのためにカントリー・ソングを探しているときに、ニタ・ブライアントの「ペーパー・ローゼズ」を提案したのはプロデューサーのソニー・ジェームズであった。

1973年8月25日、アルバムの先行シングルとして発売。当時の日本の邦題は「幸せのバラ」だった。B面は「オール・ユー(Least of All You)」。同年9月22日発売のアルバム『Paper Roses』に収録された。桜田淳子もこの邦訳で日本語カバーを歌っている。

ビルボードのカントリー・チャートならびにイージーリスニング・チャートでともに1位を記録。ビルボード・Hot 100でも11月3日から11月10日にかけて2週連続で5位を記録した[3][4]。カナダのカントリー・チャートで1位、全英シングルチャートで2位を記録するなど大ヒットとなり、シングルもアルバムもそれぞれゴールドディスクに輝いた。マリーはこのデビューシングルによりカントリー・チャートの最年少(14歳)1位の記録を打ち立てた。

この成功の勢いに乗って彼女のセカンド・シングルに選ばれたのは、これもアニタ・ブライアントが歌った「In My Little Corner of the World」であった。

脚注

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先代
アート・ガーファンクル
「友に捧げる讃歌」
Easy Listening ナンバーワンシングル
1973年11月3日(1週)
次代
チャーリー・リッチ
朝やけの少女
先代
ジョージ・ジョーンズ、タミー・ワイネット
「ウィアー・ゴナ・ホールド・オン」
Hot Country Songs ナンバーワンシングル
1973年11月10日 - 11月17日(2週)
次代
チャーリー・リッチ
朝やけの少女