ボグダットの戦い
ボグダットの戦い、ボグダット作戦 (ロシア語: Богдатское сражение)、バグダッドスカヤの戦い[1] とは、ザバイカルでのロシア内戦中で最大の、ソビエトパルチザンと白軍 (遠征する日本の第5師団と共に)の間で行われた戦闘であった。
ボグダットの戦い | |||||||
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ロシア内戦のザバイカルにおける白色運動中 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
ソビエトパルチザン部隊 | ザバイカル白軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
パーヴェル・ズラフリオフ | グリゴリー・セミョーノフ | ||||||
戦力 | |||||||
2,000人 | 4,000人 | ||||||
被害者数 | |||||||
500人死傷、200人捕虜 | 185人死亡・行方不明 |
1919年夏、地方抵抗運動は白軍コサックと日本による政権に対して威嚇を行ない、その政権は東バイカルにおけるパルチザンの位置上で大規模な攻勢に乗り出すことを決定した。8個連隊のコサックと2000人に至るまでの日本の兵士が作戦に参加した。パルチザンはこのような攻勢を予想できておらず、ボグダット及びホミャッキ村の近くを一日で取り囲まれ、その後封鎖が強化された。
ボグダットは、パベル・ズラフリオフが率いる東ザバイカル戦線の本部の本拠地であった。9月29日から10月19日の間、パルチザンは、包囲の突破を必死に試みた。最終的に、部隊の三分の二は、どうにか捕捉を避け、脱出した。
出典
編集- Шишкин С. И. Гражданская война на Д. Вост. — М., 1957;
- Шерешевский Б. М. Разгром семеновщины. — Новосибирск, 1966.
- ^ 井竿富雄「新聞の中のシベリア出兵」『山口県立大学国際文化学部紀要』第12巻、山口県立大学、2006年、1-12頁、CRID 1050282812512491776、ISSN 1342-7148、NAID 110006203545。