ムスタファ・キュターヒー
ムスタファ・キュターヒー・エフェンディ(Mustafa Kütâhî Efendi; ? - 1787年以後歿)は、18世紀オスマン帝国の能書家[1]。作品は、『クルアーン』の章句やハディース集(ここでは預言者ムハンマドの言行録)中の文言に基づくヒルイェやムラッカアが多い[1]。
ムスタファ・キュターヒー(キュタヒヤのムスタファ)は、アナトリア中西部の町キュタヒヤに生まれ、とあるシェイフの甥っ子であったために「シェイフザーデ」とあだ名された[1]。生地で読み書きを習ったのちにイスタンブルで諸学を教えた[1]。ムスタファは当地でイブラヒム・ロドスィー[注釈 1]にカリグラフィー、つまりアラビア文字による書道を学ぶ[1]。亡くなった年はわからないが、ある扁額(levḥa)作品中のサインによれば1787年には存命であったことが確かである[1]。
ムスタファ・キュターヒーは、イスタンブルのユスキュダル区のカラジャアフメト墓地に埋葬された[1]。ムスタファ・キュターヒーの弟子としては、ケベジザーデ・メフメト・ヴァスフィー[注釈 2]がいる[2]。また、ムスタファ・キュターヒーの娘、シェリフェ・エミネ・サフヴェト・ハーノム[注釈 3]も書家であり、イスタンブルのトルコ・イスラーム美術博物館に作品が所蔵されている(所蔵番号 3274)[1]。
ムスタファ・キュターヒーは、クルアーンやハディースの聖句をスルス体とナスフ体で書き表し、これらを一枚のヒルイェやムラッカアの中で組み合わせる、様式美を追求した書道作品で知られ、18世紀のオスマン帝国美術を代表する能書家である[1]。トルコのオスマン美術研究家デルマン[注釈 4]は、ムスタファ・キュターヒーの様式美が15-16世紀の能書家シェイフ・ハムドゥッラーに影響を受けていることを指摘する[1]。ムスタファ・キュターヒーは、ほとんどの作品にアラビア語・アラビア文字で「イブヌッシェイフ」、つまり「シェイフの息子」と署名している[1]。これは「シェイフザーデ」と等価であると同時に、シェイフ・ハムドゥッラーの影響下にあることも想起させるものである[1]。
注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n Derman, M. Uğur; Metropolitan Museum of Art (New York, N.Y.); Los Angeles County Museum of Art (1998). Letters in Gold: Ottoman Calligraphy from the Sakıp Sabancı Collection, Istanbul. New York: Metropolitan Museum of Art. pp. 90-91. ISBN 9780870998737
- ^ Gonnella, Julia; Weis, Friederike; Rauch, Christoph (2016). The Diez Albums: Contexts and Contents, Islamic Manuscripts and Books. BRILL. pp. 150-151. ISBN 9789004323483
- ^ M. Uğur DERMAN, Prof.