ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ (ノヴゴロド公)
ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ(ロシア語: Мстислав Давыдович、1163/8年 - 1189年[1])は、ルーシの公(クニャージ)のうちの一人である。ノヴゴロド公(在位:1184年 - 1187年[1])、ヴィシゴロド公(在位:1187年 - 1189年[1])。聖名ボリス。
ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ Мстислав Давыдович | |
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ノヴゴロド公 ヴィシゴロド公 | |
ノヴゴロド公位につくムスチスラフ | |
在位 |
ノヴゴロド公:1184年 - 1187年 ヴィシゴロド公:1187年 - 1189年 |
出生 |
1163/8年 |
死去 |
1189年 |
配偶者 | トグリイの娘? |
家名 | リューリク家 |
父親 | スモレンスク公ダヴィド |
父はスモレンスク公ダヴィド。ノヴゴロド公、ヴィシゴロド公位に就いた。妻はポロヴェツ族のハン・トグリイの娘とする説がある[1][2]。子に関する詳細は不明である。
V.タチシチェフは、ポロツク公ボリス(ru)(ヴィテプスク公ダヴィドの子とされる。)と同一人物であると論じており、その場合、1184年から1184年もしくは1186年にかけて、ポロツク公位に就いていたことになる。
出典
編集- ^ a b c d Войтович Л. 3.16. СМОЛЕНСЬКА ГІЛКА РЮРИКОВИЧА. СМОЛЕНСЬКА І ЯРОСЛАВСЬКА ДИНАСТІЇ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
- ^ 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、197頁、CRID 1390572174764448768、doi:10.15099/00018264、hdl:10110/00018264、ISSN 03865975。
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