ヤン・マサイス

フランドルの画家

ヤン・マサイス: Jan Matsys / : Jan Massijs1510年頃 – 1575年10月8日)は、歴史画風俗画風景画で知られる南ネーデルラントルネサンスの画家。また、マサイスはフォンテーヌブロー派のような官能的な女性の裸体画で評価を得た[1]

ヤン・マサイス
Jan Matsys
ヤン・マサイス作『陽気な集会』
生誕 1510年
アントウェルペン
死没 1575年10月8日
アントウェルペン
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略歴

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アントウェルペンで画家、クエンティン・マサイスの息子に生まれた。弟のコルネリス・マサイス(Cornelis Massijs: 1508-0 c.1556)も画家、版画家になった。父親から絵を学んで、父親の亡くなった翌年の1531年にアントウェルペンの聖ルカ組合の会員になった。その後、しばらくフランスのフォンテーヌブローで働いたとされるが、しっかりとした証拠はない。1536年までにはアントウェルペンに戻り、1538年にいとこの女性と結婚した。この結婚から3人の子供が生まれた。

1544年に異端審問を受け、国外に亡命した。フォンテンブロー、ドイツを経て、1550年にはジェノヴァ共和国に移り、実力者アンドレア・ドーリアの宮廷で6年間働いた。1556年にはアントウェルペンに戻ることができ、その後はアントウェルペンで活動した。

作品

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参考文献

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  1. ^ Jane Campbell Hutchison and Jan Van der Stock英語版. "Jan Massys." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 26 May. 2017