ライタ・ラースロー
ライタ・ラースロー(Lajtha László, 1892年6月30日 - 1963年2月16日)は、ハンガリーの作曲家、民族音楽学者、指揮者。
ライタ・ラースロー Lajtha László | |
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基本情報 | |
生誕 | 1892年6月30日 |
出身地 | ハンガリー王国・ブダペスト |
死没 | ハンガリー 1963年2月16日(70歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家、民族音楽学者、指揮者 |
経歴 編集
ライテルスドルフェル・リポート(Leitersdorfer Lipót)とヴィーゼル・イダ(Wiesel Ida)の両親のもとに生まれる。ブダペスト出身。ライプツィヒ、ジュネーヴ、パリで学び、パリではヴァンサン・ダンディに師事した。第一次世界大戦後、ブダペスト音楽院・国立アカデミーで教鞭をとり、バルトーク・ベーラ、コダーイ・ゾルターンと共同で、ハンガリーの民謡の録音の写譜と分析にあたった。
第二次世界大戦後にはハンガリー・ラジオ放送局の音楽監督に迎えられるが、1956年のハンガリー動乱を支援したとして解雇された。
作品には9曲の交響曲、10曲の弦楽四重奏曲、3つのバレエ、オペレッタ『青い帽子』などがあり、他にも多くの管弦楽曲、室内楽、器楽、宗教音楽、映画音楽がある。
ライタはハンガリーの重要な交響曲作曲家とみなされているが、国内外への公演を禁止したハンガリー人民共和国のソ連型社会主義による抑圧の結果、評価されるようになったのは近年のことである。