ラザロの復活 (カラヴァッジョ)

ラザロの復活』(ラザロのふっかつ、イタリア語: Resurrezione di Lazzaro, 英: The Raising of Lazarus)、または『ラザロの蘇生』(ラザロのそせい)は、イタリアバロック期の画家カラヴァッジョ(1571〜1610)が1609年ごろに制作した絵画である。作品は、メッシーナ州立美術館に所蔵されている。

『ラザロの復活』
イタリア語: Resurrezione di Lazzaro
作者カラヴァッジョ
製作年1609年ごろ
寸法380 cm × 275 cm (150 in × 108 in)
所蔵メッシーナ州立美術館

概要 編集

1608年8月、カラヴァッジョは現在知られていない犯罪で投獄されていたマルタから逃亡し、友人の芸術家マリオ・ミンニーティと一緒にシチリア島に避難した。ミンニーティの仲介で、カラヴァッジョはメッシーナのパードリ・クロチーフェリ教会のためにこの作品を含む多くの重要な注文を得た。この作品は、1609年6月10日に裕福なジェノヴァの商人ジョヴァンニ・バッティスタ・デ・ラッザーリによってパードリ・クロチーフェリ教会に奉納された。制作料金は千スクードで、カラヴァッジョが以前に受け取ったものの2倍以上であった。

マルタマリアの兄弟であるラザロは、カラヴァッジョがパードリ・クロチーフェリ教会で祭壇画を描く契約をしたジョヴァンニ・バッティスタ・デ・ラッザーリの守護聖人であった。ヨハネによる福音書は、ラザロがどのようにして病気になり、死に、埋葬され、そしてキリストによって奇跡的に死から蘇らせられたかを語っている。カラヴァッジョのこの時期のいくつかの絵画のように、場面は登場人物の一群を圧倒する空白の壁を背景として設定されている。上部の大きな空白の中、集団的な動作と感情にとらわれた人物群が作り出す相互作用は、画家の初期および中期の焦点を絞った個別のドラマとはまったく異っている。カラヴァッジョの作品では通例であるが、光はドラマの重要な要素になり、ラザロの手(片方は状況を受け入れるため緩く開いており、もう片方はキリストに向かって伸びている)や、見物人の不可思議な顔などの重要な詳細を明るみに出している。

カラヴァッジョがこの絵のために新たに埋葬された遺体を発掘したという古い話は、「おそらく作り話であるが、可能性の限界を超えてはいない」(ジョン・ガッシュ、以下を参照)。一方、ラザロの遺体は実際の遺体というより十字架像に似ているので、十字架を紋章としていたクロチーフェリ教会が所有していた木彫の十字架像を模している可能性がある[1]

一部の人物は地域社会の人々をモデルにしていると言われているが、カラヴァッジョは自分の記憶にも頼っている。全体の構想はジュリオ・ロマーノに倣った版画に基づいており、カラヴァッジョのキリストは『聖マタイの召命』のキリストを反転した像となっている。キリストの顔は黒く塗りつぶされ、人物たちはキリストの背後の光のほうを向いているように見える。筆触は荒く、画家の不安を表しているかのようである[2]。絵画は保存状態が悪く、かなり修復されており、一部の箇所は助手の手になる可能性がある。

フランチェスコ・スジンノによると、カラヴァッジョは最初のバージョンを作成したが、不評となった後でカミソリで破壊してしまった。その後、画家は現在のバージョンを記録的な速さで終えたというが、おそらくこの話は空想である。ただ短期間で描いたように見えるのは確かである[3]

 
メッシーナ州立美術館、シチリア

参考文献 編集

  • ラザロの復活、ウェブギャラリーオブアート
  • ジョン・ガッシュ、カラヴァッジョ(2003)、ISBN 1-904449-22-0
  • ヘレン・ラングドン、カラヴァッジョ:人生(1998)、ISBN 0-374-11894-9
  • ピーター・ロブ、 M (1998)、ISBN 0-312-27474-2ISBN 0-7475-4858-7

脚注 編集

  1. ^ カラヴァッジョへの旅-天才画家の光と闇-、宮下規久朗、角川学芸出版、2007年刊行、209頁 ISBN 978-4-04-703416-7
  2. ^ Karavajjyo junrei』Kikurō Miyashita, 宮下規久朗、Shinchōsha、Tōkyō、2010年。ISBN 978-4-10-602200-5OCLC 674394394https://www.worldcat.org/oclc/674394394 
  3. ^ カラヴァッジョへの旅-天才画家の光と闇-、宮下規久朗、角川学芸出版、2007年刊行、208頁 ISBN 978-4-04-703416-7