リンドーブ(HMS Ringdov)はイギリス海軍ヴィジラント級砲艦東インド・中国艦隊に配備され、ロシア軍艦対馬占領事件に協力した。

リンドーブ
同型艦のSurprise
基本情報
建造所 J & R White, Cowes
運用者  イギリス海軍
艦種 2等木造砲艦
艦歴
進水 1856年2月22日
最期 1865年売却、1866年解体
要目
排水量 860トン
トン数 669bmトン
長さ 180 ft (54.9 m)(砲列甲板)
160 ft 7.5 in (49.0 m)(キール長)
28 ft 4 in (8.6 m)
深さ 14 ft (4.3 m) (庫内)
吃水 8 ft (2.4 m)(設計値)[1]
推進
  • 2気筒水平膨張蒸気エンジン
  • 単一スクリュー
速力 11ノット[1]
乗員 80人
兵装
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概要 編集

「リンドーブ」はクリミア戦争での沿岸部での作戦用に1854年に設計されたヴィジラント級の2等砲艦である[2]。2気筒の水平単式膨張蒸気エンジンを搭載し、1軸スクリュー推進により[2]、約11ノットの速度を出すことができた[1]。帆走はバーク形式であった[2]

武装は、7インチ(110ポンド)後装アームストロング砲1門、68ポンドランカスター砲1門、20ポンド後装アームストロング砲が2門であった[2]

艦歴 編集

1859年9月に東インド・中国艦隊に配属になり、翌1860年4月に香港に到着した。1861年、ロシアの「ポサードニク」が対馬を不法占拠すると、駐日英国公使ラザフォード・オールコックの依頼を受けて、帆走測量艦「アクテオン英語版」と共に、対馬の偵察を行った。さらに、幕府が問題の解決を依頼すると、東インド・中国艦隊司令官ジェームズ・ホープの座乗する「エンカウンター」と共に1861年8月28日対馬へ到着、ロシアに退去圧力を加えた。結果9月19日にポサードニクを退去させることに成功した。

1865年に売却されたが、それまでに少なくとも5回日本に来航している。

脚注 編集

  1. ^ a b c Preston (2007) p.150
  2. ^ a b c d Winfield (2004) p.220

参考資料 編集

  • Winfield, Rif; Lyon, David (2004). The Sail and Steam Navy List: All the Ships of the Royal Navy 1815–1889. London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-032-6. OCLC 52620555.
  • Preston, Anthony; Major, John (2007). Send a Gunboat, The Victorian Navy and Supremacy at Sea, 1854 1904 (2nd ed.). Conway Maritime. ISBN 9780851779232.
  • Naval Database: HMS Ringdove, Index of 19th Century Naval Vessels and a few of their movements