ルーイシャン

古代エラムの王

ルー-イシャンLuh-ishanまたはLuhhiššan 𒇻𒄴𒅖𒀭 lu-uh-ish-an[1] または𒇻𒄴𒄭 𒅖𒊮𒀭 lu-uh-hi ish-sha-an[2])は紀元前2300年頃に在位したエラムの王で、アワン王朝の8番目の王だった[3]。彼はヒシプラシニ王(Hiship-rashini)の息子だった[3] [4]

ルーイシャン
𒇻𒄴𒅖𒀭
エラムの支配者
アワン王名表中のルーイシャン
在位期間
紀元前2300年頃
先代 Kikku-Siwe-Temti
次代 エシュプム (アッカド帝国の任命した太守)

王室 アワン王朝
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ルーイシャンはスーサからエラムを支配していた

ルーイシャンはエラムの記録から知られており、王名表ではアワン王朝8番目の王として記載されている[3] [5]

アッカド王サルゴンの碑文では、ルーイシャンを破ってエラムとマラシス英語版を征服したことが記されている[3]

サルゴン王は碑文の中で、自らを「サルゴン、世界の王、(シュメールの東の二大勢力である)エラムとパラシュムの征服者」としている[6]。また、サルゴンが撃破した東方の支配者達の名前も記されており、「ルーウーイシャン、ヒシバラシニの息子、エラムの王」がルーイシャンの事だと考えられている。また、「シドガウ、パラシュムの将軍」は後にアッカド王リムシュの碑文にも登場している [4]

参考文献編集

  1. ^ CDLI-Found Texts”. cdli.ucla.edu. 2021年3月28日閲覧。
  2. ^ SCHEIL, V. (1931). “Dynasties Élamites d'Awan et de Simaš”. Revue d'Assyriologie et d'archéologie orientale 28 (1): 1–46. ISSN 0373-6032. JSTOR 23283945. 
  3. ^ a b c d Leick, Gwendolyn (2001) (英語). Who's Who in the Ancient Near East. Psychology Press. p. 99. ISBN 978-0-415-13231-2. https://books.google.com/books?id=xwuOsvSVA3YC&pg=PA99 2021年3月28日閲覧。 
  4. ^ a b Potts, D. T. (2016) (英語). The Archaeology of Elam: Formation and Transformation of an Ancient Iranian State. Cambridge University Press. p. 82. ISBN 978-1-107-09469-7. https://books.google.com/books?id=WE62CgAAQBAJ&pg=PA82 2021年3月28日閲覧。 
  5. ^ (英語) The Royal City of Susa: Ancient Near Eastern Treasures in the Louvre. Metropolitan Museum of Art. (1992). p. 261. ISBN 978-0-87099-651-1. https://books.google.com/books?id=dDWJ_KBHwe4C&pg=PA261 2021年3月28日閲覧。 
  6. ^ Frayne, Douglas (英語). Sargonic and Gutian Periods. UNIVERSITY OF TORONTO PRESS. p. 22. https://www.academia.edu/29704423 2021年3月28日閲覧。 
先代:
Kikku-Siwe-Temti
エラム王
紀元前2300年
次代:
エシュプム
(アッカド帝国 総督)