レヴァン・ツィンツァゼ (脚本家)

ジョージアの脚本家

レヴァン・ツィンツァゼグルジア語: ლევან ცინცაძეグルジア語ラテン翻字: Levan Tsintsadze1931年2月10日2002年1月24日)は、ジョージア脚本家

本名 レヴァン・ツィンツァゼ
生年月日 (1931-02-10) 1931年2月10日
没年月日 (2002-01-24) 2002年1月24日(70歳没)
国籍  グルジアSSR
職業 脚本家
ジャンル ドキュメンタリー
受賞
ジョージア文化功労章
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生涯

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1931年に誕生。1956年にトビリシ国立大学新聞学部を卒業。1955年から1959年まで複数の新聞社で編集に関わった。1959年から1961年までは映画スタジオにて歴史ドキュメンタリーポピュラーサイエンス分野の編集に携わり、続いて記録室長(1961年–1966年)、副所長(1966年–1967年)を務めた。1967年から1990年までは雑誌『人と法』で作家および編集者となり、また歴史映画作品の脚本および監督をした。1979年にジョージア文化功労章を受章[1]

作品

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ツィンツァゼは以下の映画作品の脚本を作成した[1]

  • 『言葉とは何か』(1968年) - ドキュメンタリー
  • 『メラブ・ベルゼニシヴィリ』(1976年) - ドキュメンタリー
  • 『自由への道は…?』(1992年) - ドキュメンタリー

参考文献

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