ロディ・ハサウェイ
アメリカの俳優 (1868-1944)
ロディ・ハサウェイ(Rhody Hathaway, 1868年10月5日 - 1944年2月18日)は、アメリカ合衆国の俳優である[1]。
ロディ・ハサウェイ Rhody Hathaway | |
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生年月日 | 1868年10月5日 |
没年月日 | 1944年2月18日(75歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ |
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス、ハリウッド |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 舞台、サイレント映画、トーキー |
活動期間 | 1890年代 - 1935年 |
配偶者 | ジーン・ハサウェイ |
著名な家族 | ヘンリー・ハサウェイ 長男 |
人物・来歴
編集1868年10月5日、カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる[1]。
当初のキャリアは舞台俳優であり、時期は不明であるが、ベルギーの侯爵位をもつ女優ジーン・ハサウェイと結婚した[1][2]。ロディ満30歳、妻ジーン満21歳であった1898年3月13日、2人の間に長男アンリ・レオナール(のちのヘンリー・ハサウェイ)が誕生し、爵位は長男が継いでいる[3]。
1911年から妻ジーンが映画出演を開始する[2]。ジーンがほぼ映画から撤退した1924年、映画に顔を出し始め、同年1月24日公開、フォックス・フィルム(現在の20世紀フォックス)製作・配給、ウィリアム・A・ウェルマン監督、バック・ジョーンズ主演のサイレント映画『曠原の哀歌』に助演したのが、もっとも古い映画への出演記録である[1][4]。1928年、サイレント期が終わりに向かい、映画界を離れる[1]。1934年、コロンビア ピクチャーズ製作・配給、ウォルター・ラング監督のトーキー『激浪』にノンクレジットで出演して映画界に復帰、以降すべてノンクレジットの脇役・端役となる[1]。翌1935年以降の出演記録は見当たらない[1]。
フィルモグラフィ
編集すべて出演作である[1]。
1920年代
編集- 『曠原の哀歌』 Not a Drum Was Heard : 監督ウィリアム・A・ウェルマン、主演バック・ジョーンズ、1924年 - 出演・役名 James Ross
- 『千軍万馬』 Riders of the Plains : 監督ジャック・ジャッカード、主演ジャック・ペリン、シリアル、1924年
- A Daughter of the Sioux : 監督・主演ベン・F・ウィルソン、共演ネヴァ・ガーバー、1925年 - 出演・役名 Major John Webb
- The Phantom of the Forest : 監督ヘンリー・マッカーティ、主演ベティ・フランシスコ、1926年 - 出演・役名 John Wallace
- 『第一曲馬団』 Bigger Than Barnum's : 監督・出演ラルフ・インス、主演ラルフ・ルイス、1926年 - 出演・役名 Doctor
- Into the Night : 監督デューク・ウォーン、主演アグネス・エイアーズ、1928年 - 出演・役名 Jim Marden
- The Old Code : 監督ベン・F・ウィルソン、主演ウォルター・マッグレイル、1928年 - 出演・役名 Father Le Fane
1930年代
編集- 『激浪』 Whom the Gods Destroy : 監督ウォルター・ラング、主演ウォルター・コノリー、1934年 - ノンクレジット出演・役名 Doctor
- Life Begins at Forty : 監督ジョージ・マーシャル、主演ウィル・ロジャース、1935年 - ノンクレジット出演・役名 Townsman
- Fighting Shadows : 監督デイヴィッド・セルマン、主演ティム・マッコイ、1935年 - ノンクレジット出演・役名 Trapper
- Atlantic Adventure : 監督アルバート・S・ロージェル、主演ナンシー・キャロル、1935年 - ノンクレジット出演・役名 Reporter