ヴィルヘルム (ルクセンブルク伯)
ルクセンブルク伯ヴィルヘルム(ドイツ語:Wilhelm, Gf. von Luxemburg, 1081年 - 1131年)は、ルクセンブルク伯(在位:1096年 - 1131年)。
ヴィルヘルム Wilhelm | |
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ルクセンブルク伯 | |
ヴィルヘルムのシール | |
在位 | 1096年 - 1131年 |
出生 |
1081年 |
死去 |
1131年 |
配偶者 | マティルデ・フォン・ノルトハイム |
子女 |
コンラート2世 ヴィルヘルム ルイトガルト |
家名 | アルデンヌ=ルクセンブルク家 |
父親 | ルクセンブルク伯コンラート1世 |
母親 | クレマンス・ダキテーヌ |
生涯
編集ヴィルヘルムはルクセンブルク伯コンラート1世とクレマンス・ダキテーヌの息子である[1]。兄ハインリヒ3世が1096年に死去し、伯位を継承した。ヴィルヘルムは記録文書において「ルクセンブルク伯」の称号を一族で初めて用いた。
これまでのルクセンブルク伯と同様、ヴィルヘルムもトリーア大司教ブルーノと1122年および1127年に対立し、ヴィルヘルムは破門されている[2]。
子女
編集1105年ごろにバイヒリンゲン伯クーノ・フォン・ノルトハイム(バイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの息子)の娘マティルデ(ルイトガルト)と結婚し、3子をもうけた。
脚注
編集- ^ Gades 1951, p. 58.
- ^ Gades 1951, p. 59.
- ^ a b Gades 1951, p. 60.
- ^ Gilbert of Mons 2005, p. 38.
参考文献
編集- Gades, John A. (1951). Luxembourg in the Middle Ages. Brill
- Gilbert of Mons (2005). Chronicle of Hainaut. The Boydell Press
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