一番丸福井藩が建造、保有した洋式帆船[1]。公的には「コツトル御船」と称された[1]

製造方頭取佐々木権六の元で、三国宿浦に設けられた造船所で建造された[2]。佐々木は独力で設計を行ったようである[3]。彼はペリーの黒船に乗り込んだことがあった他、ジョン万次郎に作成した模型を見せて助言をもらったという[4]

「一番丸」は1本マストのコツトル(カッター)で、長さ11(20.0m)、幅3間半(6.4m)、深さ2件7寸(3.8m)であった[1]。竣工伺では乗員16名とされている[1]。大砲の有無は不明である[3]

「一番丸」は安政4年(1857)9月10日に起工され、安政6年4月8日に幕府へ竣工が届け出られている[1]。4月21日に最初の航海に出発した[3]。文久3年(1863年)4月には藩が購入した蒸気船「黒竜丸」の受け取りに向かう藩士を運んでいる[1]

「一番丸」に続いて「二番丸」以降の建造も考えられていたという[5]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 「幕末福井藩の洋式船と航海記」108ページ
  2. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」109ページ、『福井県史』通史編4、第六章第一節一その他の改革
  3. ^ a b c 「幕末福井藩の洋式船と航海記」109ページ
  4. ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」109ページ、「福井藩洋式帆船「一番丸」の歴史 佐々木権六の業績を紹介」
  5. ^ 「福井藩洋式帆船「一番丸」の歴史 佐々木権六の業績を紹介」

参考文献 編集