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三遊亭 歌橘(さんゆうてい かきつ)は、落語家の名跡。当代は3代目。

  • 初代 三遊亭歌橘 - 2代目三遊亭円歌の門下。本名は地引進[1]。前座名、歌寿美。1955年に二ツ目昇進し歌橘と改名、後に廃業[1]。2010年6月死去。
  • 2代目 三遊亭歌橘 - 現在の三遊亭小歌。二ツ目時代の名前。本名は土田明紘。
  • 3代目については以下に記載。

3代目 三遊亭さんゆうてい 歌橘かきつ
本名 恩田 龍也
生年月日 (1976-06-24) 1976年6月24日(43歳)
出身地 日本の旗 日本栃木県足利市
師匠 三遊亭圓歌
名跡 1. 三遊亭歌いち(1994年 - 1999年)
2. 三遊亭あし歌(1999年 - 2008年)
3. 3代目三遊亭歌橘(2008年 - )
出囃子 八木節
活動期間 1994年 -
所属 落語協会
公式サイト 三遊亭歌橘おふぃしゃるぶろぐ
受賞歴
第7回日本橋演芸大賞(2006年)
第6回さがみはら若手落語家選手権審査員特別賞

3代目 三遊亭 歌橘(さんゆうてい かきつ、1976年6月24日 - )は社団法人落語協会所属の落語家、真打。本名は恩田龍也。出囃子は「八木節」。所属プロダクションは株式会社三遊亭圓歌事務所を経て、2011年1月1日より、株式会社共同テレビジョン(マネージメント室)に移籍する。足利市観光大使、とちぎ未来大使、あしかが輝き大使。愛称 : カッキー師匠、かきつっち、落語界の美肌王子。趣味は釣り、プロレス観戦、映画鑑賞、料理、掃除。

経歴編集

栃木県足利市八幡町出身。出身地の足利市八幡町の同町内に書家の相田みつをが在住。祖父が友人付き合いをしていた関係で生前の相田みつをに可愛がられた(相田みつを美術館の記録)。祖母が民謡歌手の早坂光枝門下で、物心付く頃から民謡と三味線の指導を受ける。幼少期に両親が離婚。それぞれ新しい家庭を持ったため、以降、祖父母が両親代わりとなる。足利市立山辺中学校を経て、青藍泰斗高等学校を卒業する[2]

高校3年生の時に三遊亭圓歌に弟子入りをする。1995年3月、高校を卒業後、内弟子修行開始[2]。前座名は「三遊亭歌いち」。1999年5月1日、二ツ目昇進。三遊亭あし歌と改名。2008年9月21日、真打昇進と同時に3代目「三遊亭歌橘」を襲名。栃木県初の落語家、真打。

受賞編集

  • 2006年6月1日 第7回日本橋演芸大賞 受賞
  • 2007年1月27日 第6回さがみはら若手落語家選手権審査員特別賞 受賞
  • 2007年2月11日 第4回伝統芸能祭りグランドチャンピオン大会 優勝
  • 2007年5月6日 第1回落語一番勝負グランプリ新作落語部門 優勝

同期編集

エピソード編集

  • 修行時代は栃木(足利)弁の矯正に苦労した。本来、落語は江戸っ子が江戸っ子に聴かせるもので落語家で訛るのは御法度の習わしのため。上京した際は「足利は訛りがない」と思っていたらしく、何が訛っているのか分かるのに随分時間が掛かったという。ちゃきちゃきの江戸っ子の師匠の圓歌が、歌橘の発する言葉のイントネーションを逐一直し、内弟子時代は地元の人間と一切連絡を取らないなど、努力の結果が報われて『大工調べ』『三方一両損』『たがや』『宿屋の仇打ち』など、威勢の良い江戸っ子の啖呵が切れるまでに訛りを克服した。[3]
  • 2000年10月、フジテレビ福原伸治に見出されて『株式会社o-daiba.com 美少女IT戦士リアルシスターズ』のレギュラー番組を獲得するなど順風満帆であったが、内弟子修業の解放感から酒浸りとなり、仕事に穴を開けることが多々あった。周りからも再三再四の忠告を受ける。仕事を干される状態まで堕ちたが最後まで見捨てなかった師匠の圓歌に感謝し、また圓歌の弟子じゃなければ今日の自分は存在しないと述べている。
  • 仕事の無い時代、武蔵川部屋和歌乃山洋山分)の付き人で食い繋いでいた縁で角界関係の友人知人が多い。和歌乃山が糖尿病のため、付き人の役目は主に酒担当だったとのことで、相撲取りを酔い潰す程の大酒豪だった[4]
  • 2010年5月、10年振りに、フジテレビ系列のバラエティ番組ペケ×ポン』で、テレビ復帰。出演の話があった時はすでに真打昇進し、高座の仕事だけで充分生活ができていたので「今更テレビに出る必要があるのだろうか?」と深刻に悩んだという。しかし、長年に渡り歌橘を見守っていた映像作家のかわなかのぶひろに「このまま落語マニアだけに評価される落語家を目指すか、それとも全国区で独演会が打てる落語家を目指すか?」と言われたことと、真打昇進時に今後の目標として掲げた「寄席芸人」だったが、その寄席の出番に恵まれなかったことも重なり、「こうなったら売れるしかない!」と番組の出演を決意した。[5]
  • 『ペケ×ポン』のコーナー「ペケポン川柳」に出演するが、緊張からかなかなか答えられず、レギュラー扮する「川柳四天王」に馬鹿にされている。さらに、童顔であることから「かきつっち」「小4」と呼ばれ、絶対正解しないから安心という意味で「小4保険」と揶揄される。挙句の果てには、歌橘がいない時でも川柳・なぞかけで答えられない人のことを「かきつ」と呼ぶようになり、答えられない人の代名詞になってしまった。その後、初正解した際には思わず泣いてしまい、共演者の石坂浩二も思わず感動した。しかし、解答権が回って来ない時に「分かった」と言い続けたため、レギュラーから「嘘だろ」と疑われ、分かっていないのに分かったとハッタリをかます人のことも「かきつ」と呼ばれるようになった。また、タカアンドトシタカとの悪口の言い合いも定番となっている。
  • 『ペケ×ポン』のポンコツっぷりから「落語家の評判を落とす行為」と周りから厳しい意見が出ているが、毒蝮三太夫は「現在、なかなか落語家がマスメディアに出られない環境の中、二世の落語家じゃない、いち叩き上げの落語家がゴールデンに進出した事を評価するべき」と、エールを送っている。
  • 大日本プロレス伊東竜二と仲が良い。
  • グラビアアイドルの手島優は中学校の後輩。
  • 2010年4月1日に足利市の観光大使に任命された。

カリフォルニア・ツアー編集

  • 『RAKUGO IN CALIFORNIA '2007』
    2007年6月、カリフォルニア州在住の日系一世のユアサ・アキラが三遊亭圓歌の大ファンで『圓歌』で、インターネット検索していたところ弟子の歌橘(当時、二ツ目あし歌)のホームページに辿り着いて、メールのやりとりを行う。「死ぬ前に、もう一度生の落語が聴きたい」の言葉を受けて、自費で単身渡米。また、自身が芸の壁にぶつかって悩んでいたことも関係した。
    当初、一カ所だけの予定が噂を聞き付けた日系人コミュニティから、コンタクトが殺到し、サンフランシスコシリコンバレーサンタクララサクラメントサンディエゴロサンゼルスサンタモニカの各都市全30か所の公演となった。親方日の丸の力を借りずに座布団と緋毛氈持参で単身米国に乗り込んだ姿が、在米日系人たちの若き日の姿と重なり、現地のメディアで大々的に取り上げられた。その道中、高校時代に2週間ホーム・スティした、マンティカ・シティ在住のバーン・ファミリーと数10年振りの再会を果たしている。[6][7]
  • 『三遊亭歌橘独演会 in CALIFORNIA』
    2010年5月、各都市の日系人コミュニティが会費を集めて真打昇進した『歌橘を呼ぶ会』を立ち上げた。予算が出ることで、ゲストに津軽三味線漫談太田家元九郎を同行。全15公演を行う。ロサンゼルスの新聞に「ゆくゆくは語学留学したい」と話している。[8]

出演番組・作品編集

テレビ編集

ドラマ編集

映画編集

ラジオ編集

脚注編集

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  1. ^ a b 春風亭一柳、「噺の咄の話のはなし」、晩聲社、1980年、10ページ。
  2. ^ a b 三遊亭歌橘(プロフィール・落語協会公式)”. 2018年12月22日閲覧。
  3. ^ 東京新聞
  4. ^ 月刊大相撲
  5. ^ かわなかのぶひろ映像書簡
  6. ^ 北米毎日新聞
  7. ^ 日米タイムズ
  8. ^ 羅府新報

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集