上毛野 綱主(かみつけの の つなぬし、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族氏姓は桧前公のち上毛野朝臣官位従五位下伊賀守

経歴 編集

承和14年(847年正六位上左近衛府将監の官位にあったが、桧前公から上毛野朝臣改姓され、上野国那波郡から左京四条に移貫される。仁明朝末の嘉祥2年(849年従五位下に叙せられ、翌嘉祥3年(850年)3月に仁明天皇が重態に陥る中で固関使が発せられた際、綱主は伊勢国に派遣された。

文徳朝では嘉承4年(851年和泉守に任ぜられ、斉衡2年(855年内位の従五位下に叙せられる。清和朝では貞観7年(865年鼓吹正、貞観8年(866年伊賀守を歴任した。

官歴 編集

六国史』による。

参考文献 編集