上海派遣軍
上海派遣軍(シャンハイはけんぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。第一次上海事変・第二次上海事変の双方に際して編成、上海に派遣された。
上海派遣軍 | |
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創設 | 1932年(昭和7年)2月23日 |
廃止 | 1932年(昭和7年)6月27日 |
再編成 | 1937年(昭和12年)8月15日 |
廃止 | 1938年(昭和13年)2月14日 |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 | 中支 |
最終上級単位 | 中支那方面軍 |
最終位置 | 江蘇省 南京 |
戦歴 | 第一次上海事変 | 第二次上海事変 - 日中戦争 |
第一次上海事変期
編集沿革
編集1932年(昭和7年)1月18日に発生した第一次上海事変に際して、白川義則陸軍大将を司令官として編成。上海において十九路軍と戦闘を行ったが、昭和天皇の要請に従い戦域拡大には慎重に行動した。その結果、5月5日に停戦協定調印にこぎつけた。
また、4月29日には上海天長節爆弾事件が発生し、白川義則はこれがもととなって死亡した。
軍概要
編集司令官
編集- 白川義則 大将:1932年2月25日 - 5月26日死去
参謀長
編集- 田代皖一郎 少将:1932年2月26日 - 6月27日
参謀副長
編集- 岡村寧次 大佐:1932年2月26日 - 6月3日
司令部構成
編集隷下部隊
編集第二次上海事変期
編集沿革
編集盧溝橋事件から飛び火し第二次上海事変が発生したため、上海の在留邦人保護のために1937年(昭和12年)8月15日 に臨参命第73号にて上海派遣軍編組が下令された。その後、9月11日に臨参命第101号により上海派遣軍戦闘序列下令。当初は天皇直隷であったが、参謀本部の不拡大方針を押し切り、南京方面への進撃に伴い、11月7日新たに編成された中支那方面軍に編合、12月1日には大陸命第7号にて中支那方面軍戦闘序列が下令された。翌1938年(昭和13年)2月14日に廃止された。
軍概要
編集司令官
編集参謀長
編集- 飯沼守 少将:1937年8月15日 - 1938年2月14日
参謀副長
編集- 上村利道 大佐:1937年8月15日 - 1937年11月1日
- 欠員:1937年11月1日