丸尾 光春(まるお こうしゅん、元治2年1月16日[1]1865年2月11日) - 大正12年(1923年4月2日[2])は、日本の衆議院議員立憲国民党)。医師

丸尾光春

経歴 編集

播磨国朝来郡生野町(現在の兵庫県朝来市)に福井又次郎の二男として生まれ、丸尾八右衛門の養子となった[1]1887年明治20年)、兵庫県立神戸医学校を卒業[2]。生野町会議員、朝来郡会議員、同議長、兵庫県会議員、同副議長に選ばれた[1]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

脚注 編集

  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』
  2. ^ a b 『衆議院議員名鑑』

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。