京極高福

日本の江戸時代後期~末期(幕末)の武士。江戸幕府旗本京極高正の子で、高家旗本京極氏7代当主(宮津京極氏10代当主)。従五位下侍従・丹後守

京極 高福 (きょうごく たかとみ、生没年不詳)は、江戸時代後期の高家旗本。父は京極高正通称は兵庫。官位は従五位下侍従・丹後守。

天保3年(1832年)閏11月5日、家督を相続する。天保6年(1835年)11月1日、将軍徳川家斉御目見する。天保14年(1843年)6月、上知令により安房朝夷郡内428石を収公され、同年8月に下総豊田郡内660石を替地として与えられる。嘉永3年(1850年)10月28日、高家職に就き、従五位下侍従・丹後守に叙任する。慶応4年(1868年)2月22日、新政府に服属し、朝臣となる。