京極高鎮

江戸時代後期の大名 (1811-1834)

京極 高鎮(きょうごく たかつね)は、江戸時代後期の大名丹後国峰山藩9代藩主。官位は不詳。

 
京極高鎮
京極高鎮像(常立寺蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化7年12月15日1811年1月9日[要出典]
死没 天保5年6月23日1834年7月29日
改名 富五郎、篤吉、寅之助、高鎮
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
丹後峰山藩
氏族 京極氏
父母 京極高備
兄弟 高寧高聡一色直貞津田正応高倍高鎮、悦子ら
高景
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略歴 編集

7代藩主・京極高備の七男として誕生。幼名は富五郎、篤吉、寅之助。8代藩主・京極高倍の弟。

天保4年(1833年)12月5日に兄で先代藩主の高倍が嗣子無くして死去したため、その跡を継いで翌天保5年(1834年)に藩主となった。しかし藩主に在職すること半年の同年6月23日に江戸にて死去した。享年25。嗣子がなく、跡を養子の高景が継いだ。

系譜 編集