仁部富之助
日本の鳥類研究科、農業改良家
仁部 富之助(にべ とみのすけ、1882年(明治15年)12月15日 - 1947年(昭和22年)1月11日[1])は、日本の鳥類研究家、農業改良家。「鳥のファーブル」と称された。
経歴
編集秋田県岩城町(現在の由利本荘市の一部)出身[1][2]。1901年に秋田県農学校を卒業し、大曲の農商務省農事試験場陸羽支場に農業技師として勤めた[1][2]。ここで、寺尾博とともに新品種のイネ「陸羽132号」を生み出した[1][2]。
イネの新品種の開発の傍ら鳥類の観察を始め[1][2]、1915年に「敦公の蕃殖に関する研究」を発表した[2]。1923年の行政整理に際し依願退官し[2]、1925年には農商務省により委嘱を受け、野鳥の生態研究に専念した[1][2]。1936年に著書「野の鳥の生態」を発表した[1][2]。