仇頗解

百済に帰化した南沃沮人

仇頗解(きゅうはかい、朝鮮語: 구파해)は、百済帰化した南沃沮人

仇頗解
各種表記
ハングル 구파해
日本語読み: きゅうはかい
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人物

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25年10月、仇頗解は20余世帯を連れて斧壤江原道平康郡)で百済に帰化を願い出た。百済王・温祚は、これを受け入れ、仇頗解集団を漢山に定住させた[1]

百済は建国当初より、周辺諸国・諸民族と激しく争ってきた。この過程で多くの周辺諸国・諸民族が百済に帰化した。仇頗解のように、自発的に帰化した例もあるが、大多数は軍事占領の過程で、あるいは戦争捕虜として百済に吸収された[2]

脚注

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