仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく、804年貞元20年) - 890年大順元年))は、中国代の禅僧智通禅師。俗姓は葉。韶州湞陽県(広東省韶関市曲江区)の出身。

仰山慧寂
804年 - 890年
諡号 智通禅師
生地 韶州湞陽県(広東省韶関市曲江区
宗派 潙仰宗
潙山霊祐
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生涯

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17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。その後、潙山霊祐に出会い、15年前後の間、霊祐に師事した。後に、仰山(江西省宜春市袁州区)に住したので、その名となった。以後、その地で、高僧や名僧たちとともに修行に励んだ。

師の住した潙山と合わせて、その系統は後に「潙仰宗」と呼ばれるようになった。

エピソード

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あるとき仰山慧寂は、師の潙山霊祐から「『涅槃経』四十巻のうち、仏説(ブッダの本当の教え)と魔説(悪魔がブッダの名をかたって説いたニセの教え)の割合はどれくらいか」ときかれた。慧寂は「百パーセント、魔説です」と断言した。それを聞いた師は、怒るどころか「今後、きみは誰からも完全に自由だね」と評価した。 [1]

伝記資料

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脚注

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  1. ^ 『潭州潙山靈祐禪師語録』: 師問仰山。涅槃經四十卷。多少是佛説。多少是魔説。仰山云。總是魔説。師云。已後無人奈子何。
師:潙山霊祐潙仰宗弟子: