会津御蔵入騒動(あいづおくらいりそうどう)は、江戸時代中期に陸奥国会津地方の南山御蔵入領で起こった百姓一揆

五万石騒動南山一揆南山御蔵入騒動ともよばれる。

解説

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年貢の引き下げや郷頭の廃止を目的に、1720年10月に約800人の百姓が田島代官所に押し寄せたことから始まった。江戸幕府勘定方にまで発展し、小栗山喜四郎などの代表18人が1721年2月に訴状13か条を提出した。しかし農民側は敗訴し、喜四郎を含む6人が死刑となった[1]

参考文献

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  • "会津御蔵入騒動". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2021年9月2日閲覧

脚注

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  1. ^ 体験プログラム No.160:南山御蔵入騒動の歴史を学ぶ(南会津郡南会津町) - ふくしま教育旅行”. www.tif.ne.jp. 2021年9月25日閲覧。