佐々木 吉蔵(ささき きちぞう、1912年3月10日 - 1983年1月23日)は、日本の陸上競技選手。

佐々木吉蔵
個人情報
国籍日本の旗 日本
生誕 (1912-03-10) 1912年3月10日
日本の旗 日本 秋田県鹿角郡小坂村
死去1983年1月23日(1983-01-23)(70歳)
スポーツ
競技短距離走
種目100メートル競走

経歴 編集

秋田県鹿角郡小坂村(現在の小坂町)に生まれる[1]。1929年に大館中学校(現在の秋田県立大館鳳鳴高等学校)を卒業し、小坂鉱山花岡支社に入社し、明治神宮大会の男子100mで優勝する[1]

翌年、東京高等師範学校に進み、日本陸上競技選手権大会の男子200mで優勝し、ついで1931年には一般対抗学生選手権の4×100mリレーの学生チームの第2走者として、41秒6で当時の日本記録を樹立した[1]

1932年ロサンゼルスオリンピック代表に選ばれたが、怪我のために辞退した[1]。つづく1936年ベルリンオリンピックでは男子100メートルに出場した[1]

東京高等師範学校を卒業後は、中央大学法学部に進み、1953年に東京学芸大学の教授に就任[2]。後に文部省で働き、1962年に東京五輪準備室長となり、1964年東京オリンピックでの100メートル決勝のスターターを務め、「スターターの神様」と称された[2]

日本体育大学名誉教授 最後の頃の授業で、国体行政の改革について、数多くの授業を行なっていた。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e スポーツ”. 大館郷土博物館. 2023年8月26日閲覧。
  2. ^ a b 「スターターの神様」佐々木吉蔵氏 正確な計測に執念|オリパラ”. NIKKEI STYLE (2017年5月8日). 2019年10月28日閲覧。