佐藤左久

明治から大正期の箏曲家

佐藤 左久(さとう さきゅう、1858年安政5年) - 1915年大正4年)4月5日)は、明治から大正期の箏曲家。

経歴

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伊予松山藩士の家系の子として伊予国松山に生まれる[1]。5歳で失明し、6歳で白勢高実(3代白勢検校)に入門[1]。左京一の名で箏曲家となる[1]

山田流箏曲や生田流箏曲を学び[1]長谷幸輝ら生田流の箏曲家たちとたびたび共演した[1]。箏曲の師匠として数多くの門弟を輩出し[1]、箏の手付けにも才能を発揮した[1]1901年(明治35年)からは女子大学(現日本女子大学)の琴曲科で指導した。1915年(大正4年)大阪出向中に急逝した[1]

作品

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  • 『小夜砧』
  • 『佐保姫』

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 明治~平成, 20世紀日本人名事典,新撰 芸能人物事典. “佐藤 左久とは”. コトバンク. 2021年11月22日閲覧。

リンク

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