何 儀(か ぎ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。黄巾軍頭目のひとり。

何儀
後漢
黄巾軍頭目
拼音 Hé Yí
主君 独立勢力→袁術孫堅曹操
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生涯 編集

黄巾の乱が鎮圧された後も、汝南郡潁川郡において、同じく頭目である劉辟黄邵・何曼らと共に数万の軍勢を擁していた。彼らは初め袁術、次いで孫堅に追従した。

建安元年(196年)2月、曹操はこの黄巾軍を討伐して撃破に成功し、劉辟・黄邵らを斬った。何儀は部下と共に曹操軍へ降伏した。その後の事跡は不明。

三国志演義 編集

小説『三国志演義』では第12回で登場。史実同様、黄巾軍の残党として跋扈していたところを、曹操によって討伐される。何曼を討ち取られ、黄邵を生け捕られると、戦意を喪失して逃走を図るが、在野の士であった許褚によって捕縛される。許褚が曹操に帰順した後、何儀と黄邵は共に処刑された。

出典 編集