信松院

東京都八王子市にある曹洞宗の寺院

信松院(しんしょういん)は、東京都八王子市台町三丁目にある曹洞宗寺院山号は金龍山。開基は信松尼武田信玄の四女・松姫)。開山は卜山舜越。八王子七福神の一つである布袋像を祀る。

信松院
信松院観音堂
所在地 東京都八王子市台町3丁目18番28号[1]
位置 北緯35度39分21.45秒 東経139度19分20.47秒 / 北緯35.6559583度 東経139.3223528度 / 35.6559583; 139.3223528座標: 北緯35度39分21.45秒 東経139度19分20.47秒 / 北緯35.6559583度 東経139.3223528度 / 35.6559583; 139.3223528
山号 金龍山武田山 ← 金龍山 ← 佛頂山[2]
宗派 曹洞宗
創建年 天正18年(1590年
開山 卜山舜越
開基 信松尼武田信玄の四女・松姫)
正式名 金龍山信松院
別称 武田山信松禪院
札所等 武相卯歳観音霊場43番札所[3]
文化財 軍船ひな形・寄進目録、松姫坐像、信松尼墓
公式サイト 八王子金龍山信松院
法人番号 8010105000556 ウィキデータを編集
信松院の位置(東京都内)
信松院
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歴史

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1590年(天正18年)に信松尼(松姫)が心源院より八王子御所水(現・八王子市台町)の草庵に移転したのが創建とされる。

松姫は1567年(永禄10年)、7歳のとき、織田信長嫡男の信忠11歳と婚約したが、1573年(元亀3年)、両家は交戦状態(三方ヶ原の戦い)となり、婚約も破棄された。信玄の没後、1582年(天正10年)に織田勢による甲州征伐が開始されると、松姫は逃避行の末、武州多摩郡恩方にたどり着く。武田家天目山の戦いで滅亡し、その後、本能寺の変で信忠が亡くなるという悲報が続き、松姫は心源院に移り出家した。

1945年昭和20年)の八王子空襲では、焼失は逃れたものの、松姫が植えたとされているが枯れた。

松姫の名を冠した「まつひめ幼稚園」を経営していたが1986年3月閉園した[4]

文化財

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  • 軍船ひな形・寄進目録 - 木造、東京都指定文化財。安土桃山時代に制作された1/25の大きさの安宅船関船の木製雛型(模型)[5]
  • 松姫坐像 - 木造、八王子市指定文化財
  • 信松尼墓 - 八王子市指定史跡

所在地

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東京都八王子市台町3丁目18番28号

交通アクセス

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 八王子市ホームページ.
  2. ^ 新編武蔵風土記稿 八王子十五宿上野原宿.
  3. ^ 『全国霊場大事典』編纂室/編『全国霊場大事典 全国霊場巡礼・巡拝案内』六月書房、2000年。ISBN 4-7952-3343-8 
  4. ^ まつひめ幼稚園”. Web八王子事典. 2017年8月20日閲覧。
  5. ^ 木製軍船ひな形

参考文献

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外部リンク

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  • 松姫尼公墓”. 八王子市ホームページ (2016年6月29日). 2021年2月18日閲覧。