傔仗(けんじょう)とは、律令制日本において辺境官人に与えられ、護衛の任についた武官のこと[1][2][3]

概要 編集

和銅元年(708年[4]初見。古代傔人が制度化されたものと考えられ、雑任として式部省により[1]判補された。その処遇は史生に準じ[1]、交替勤務を行う内分番を採り課役が免ぜられ職分田)と事力が支給された[4]官位相当はないが、6年分の評価に基づき叙位が行われた。所属する官司は時代により様々であるが、初見時には、大宰帥に8人、大宰大弐尾張守に4人、伊勢守美濃守越前守には2人が給されている[4]。後に近江守陸奥守惣管節度使出羽守陸奥按察使鎮守将軍にも給されることとなった[1][2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 【傔仗(けんじょう)】”. 世界大百科事典 第2版 (1998年10月). 2012年6月27日閲覧。
  2. ^ a b けん‐じょう〔‐ヂヤウ〕【×傔×仗】”. デジタル大辞泉. 2012年6月27日閲覧。
  3. ^ 【傔仗】”. 歴史民俗用語辞典. 2012年6月27日閲覧。
  4. ^ a b c 続日本紀

関連項目 編集