児玉三代子
児玉 三代子(こだま みよこ、1939年8月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1939年8月8日(85歳) | |||
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 | |||
ラテン文字 | Miyoko Kodama | |||
身長 | 172cm | |||
体重 | 60kg |
来歴
編集鹿児島県鹿児島市出身。「好きだったので」中学3年次よりバレーボールを始める。鹿児島実践女子高校卒業を経て、鐘紡博多チームに入部。さらに四日市チームに転勤、移籍した。
1962年に全日本メンバーに選出され、アジア大会に出場。金メダル獲得に貢献した[1]。
人物・エピソード
編集鐘紡四日市工場では給与係として勤務した。給与係の多くがバレーボール部員だったため、他の同僚に仕事を託すこともできず残業し、仕事とバレーボールの両立を図ったという。
球歴
編集- 所属チーム履歴
- 全日本代表 - 1962年
脚注
編集参考文献
編集- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1963年5月号 54ページ