児玉孝顕

日本の内務官僚

児玉 孝顕(こだま のりあき[1]1879年明治12年)6月 - 1961年昭和36年)1月10日[2])は、日本内務官僚検事

児玉孝顕

経歴 編集

東京府貴族院議員児玉淳一郎の長男として生まれた[3]1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[3]。司法官試補、東京区裁判所検事、千葉区裁判所検事を務め、1912年(明治45年)に茨城県事務官に転じた[3]茨城県警察部長徳島県警察部長特許局審査官・事務官、埼玉県警察部長青森県内務部長、大阪府産業部長、営林局事務官・大阪営林局長を歴任[3]

退官後は大阪市助役に就任し、その他に大阪府工芸会会長、大阪能率研究会会長、大阪商工会議所顧問、産業協会理事、日本能率聯合会副会長、大阪府方面委員銓衡委員などを務めた[1][3]

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 人事興信録 1943.
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1961年1月10日夕刊、5頁。
  3. ^ a b c d e f g 人事興信録 1934.

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。