劉 光第(りゅう こうだい、Liu Guangdi1859年 - 1898年)は、末の変法派の官僚。字は徳星、号は裴村

劉光第

四川省富順県出身。光緒年間に進士となる。1883年、刑部主事。1898年、保国会に加入、戊戌の変法に参加した。しかし戊戌の政変西太后が政権を奪回すると、譚嗣同楊深秀林旭楊鋭康広仁とともに斬られた。彼らは戊戌六君子と呼ばれる。