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劉 蠡升(りゅう れいしょう、生年不詳 - 535年)は、北魏末の山胡の首長。

経歴編集

525年孝昌元年)12月、雲陽谷で天子を自称し、神嘉の元号を立て、百官を置いた。北魏末の混乱に乗じて、汾州晋州のあいだに割拠した。534年天平元年)、東魏が建国されると、高歓は偽って娘を蠡升の太子にとつがせる約束を結んだ。蠡升が子を鄴に派遣すると、高歓はこれを厚遇しつつ、婚期を引き延ばした。蠡升は和親をたのんで、防備を怠った。535年(天平2年)3月、高歓が攻撃をかけてきたため、蠡升は軽騎を率いて徴兵にあたったところ、部下の北部王に殺害され、その首級は高歓のもとに送られた。

蠡升の三男の南海王が帝号を称したが、高歓の進撃を受けて敗れた。南海王やその弟の西海王や皇后・夫人以下400人が捕らえられた。

伝記資料編集