劉誕
中国後漢末期の人物。劉焉の次男。
劉 誕(りゅう たん、? - 194年)は、中国後漢末期の人物。劉焉の次男。兄は劉範。弟は劉瑁・劉璋。
父の劉焉の命で兄の劉範と共に長安に駐屯した。董卓から治書御史に任命されている。
初平3年(192年)、董卓が殺害されると、董卓の腹心であった李傕が跋扈政治を行なった。このため、初平4年(193年)これに目をつけた父は、李傕を滅ぼすべく涼州軍閥の頭目であった馬騰・韓遂らと手を組んだ。
興平元年(194年)3月、劉誕も劉範と連動して内側から李傕を襲撃する計画になっていたが、密告者によって暴露されてしまった。劉範は馬騰と共に逃亡を企てるも、激怒した李傕の追撃軍によって討たれた。また、劉誕自身も捕らえられ李傕によって酷刑に処された。兄弟揃って長安の市場で晒し首になったといわれる。
やがて父は、劉範・劉誕兄弟が殺害された報を聞いて大いに悲しみ、次第に体調を崩し、同年夏に死去してしまった。