合戸孝二
日本のボディビルダー
合戸 孝二(ごうど こうじ、1961年4月1日 - )は、日本のボディビルダー、ジム経営者。静岡県出身。ニックネームは「狂気の男」[1]。
個人情報 | |
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愛称 | 狂気の男 |
国籍 | 日本 |
生誕 | 1961年4月1日(63歳) 静岡県 |
身長 | 164 cm (5 ft 5 in) |
体重 | 70 kg (154 lb) |
スポーツ | |
競技 | ボディビル |
経歴
編集20歳の時にジムに通い始める。だが当初は、トレーニング目的ではなく出会い目的でジムに入会した。それから、1年後に静岡県内で開催されたボディビルの大会を見て、本格的にボディビルに興味を持つようになる[2]。
1999年、左の視界に黒い斑点が見えるようになり病院を受診したところ、眼底出血を起こしていることが判明する。原因は眼の栄養失調であり、治療する場合競技を続けることが難しいと分かるや、左目の視力を犠牲にした[3]。
30代後半から成績を伸ばすようになり、2005年に44歳にして全日本ボディビル選手権優勝を果たす[4]。2007年から2009年までは大会3連覇を果たした。
その後も、国内外の大会でコンスタントに好成績を残すようになり、日本でも屈指のボディビルダーとして知られている。また、60歳を超えても一般の部で大会に出場しており、現役のボディビルダーとして第一線で活躍を続けている。
2010年以降の成績
編集2010年、男子ボディビル選手権大会70kg級で6位。
2011年、ミスターアジア優勝。アーノルド・アマチュア選手権大会70kg級で4位入賞。
2016年、胸郭出口症候群のため、14年連続で出場した日本ボディビル選手権を欠場[5]。
2017年、日本ボディビル選手権 4位[5]。
2018年、日本ボディビル選手権 5位[6]。
2019年、日本ボディビル選手権 6位。
人物
編集2022年現在、妻と共に静岡県藤枝市内でマッスルハウスGYMを経営している[7]。また、日本ボディビル・フィットネス連盟では東海支部の理事を務めている[8]。
著書
編集- 「執念 -覚悟に潜む狂気-」2018年1月 ベースボール・マガジン社刊[9]
脚注
編集- ^ ““狂気の男”ことボディビルダー合戸孝二選手にロングインタビュー!”. PHYSIQUE ONLINE (2016年8月10日). 2018年7月22日閲覧。
- ^ ““狂気の男”ことボディビルダー合戸孝二選手にロングインタビュー!|フィジーク・オンライン”. フィジーク・オンライン. 2022年1月10日閲覧。
- ^ “今年還暦を迎えた“狂気の男”~俺の素質は努力だけ~視力を失ってまで筋肉を鍛えボディビルで勝利を勝ち取った男の執念(前編) | ページ 2 / 2”. FITNESS LOVE (2021年6月25日). 2022年1月10日閲覧。
- ^ “今年還暦を迎えた“狂気の男”~俺の素質は努力だけ~視力を失ってまで筋肉を鍛えボディビルで勝利を勝ち取った男の執念(後編)”. FITNESS LOVE (2021年6月26日). 2022年1月10日閲覧。
- ^ a b RYOチャンネル (2018-01-31), バースデイ 合戸孝二 2018年1月17日 2018年10月24日閲覧。
- ^ “【結果速報】「ミスター日本」2018決定! 10/7(日)開催 ボディビル&女子フィジーク全日本選手権結果 | Web Magazine VITUP! [ヴィタップ]” (日本語). Web Magazine VITUP! [ヴィタップ]. (2018年10月7日) 2018年10月24日閲覧。
- ^ “マッスルハウスGYM”. www.so-le.net. 2022年1月10日閲覧。
- ^ “(公社)日本ボディビル・フィットネス連盟”. www.jbbf.jp. 2022年1月10日閲覧。
- ^ “執念 : 覚悟に潜む狂気”. NDLのOPAC検索結果. 2018年7月22日閲覧。