吾廬倶楽部(日本語読み:ゴールークラブ、英語: Goh Loo Club)は、1905年にシンガポールで創立された華人の社交クラブ。シンガポールクラブ街英語版にクラブハウスがあり、日本軍によるシンガポールの占領当初の1942年2月、ここに華人の有力者たちが集められて昭南華僑協会が組織され、同協会の事務所として使用されたことで知られる。[1]

創立 編集

  • 1905年に、孫士鼎(Soon Shi Teng)、陳卓然(Tan Tok Lian)ら福建省出身の実業家によって創立された[2]
  • 創立当初は「古寄楽(Gu Ji Le)」と称し、1908年に「吾廬倶楽部(Goh Loo Club)」に改称された[2]。名称は福建語で「我が家を愛する」の意[2][3]

日本軍占領時期 編集

1942年2月27日、シンガポールを占領した日本軍は、国外に逃亡しなかった華人の有力者[4]を拘束してクラブ街英語版にあった吾廬クラブのクラブハウスに集め、シンガポールマラヤの華人に5,000万ドルの軍事献金を強要するため、中国人指導者らを脅迫して昭南華僑協会を組織させた[2][5]。吾廬クラブのクラブハウスは同協会の事務所として使用された[2][5][6]

近況 編集

2009年現在、クラブは近年ほとんど活動していない[2]

脚注 編集

  1. ^ この記事の主な出典はCheng (2015, p. 124)およびTan & 1947-06-12
  2. ^ a b c d e f Cheng 2015, p. 124.
  3. ^ リー (1987, p. 102)では「呉盧(ゴールー)クラブ」、篠崎 (1976, p. 64)では「呉蘆(ウロ)倶楽部」と記している。
  4. ^ 陳延謙(Tan Ean Kiam、当時の吾廬クラブ会長)、林文慶(Lim Boon Keng)、李偉南(Lee Wee Nam)、楊纘文(Yeo Chan Boon)、黄兆珪(Wong Siew Qiu)、陳育崧(Tan Yeok Seong)、邵仁枚英語版邵逸夫英語版ら(Cheng 2015, p. 124)
  5. ^ a b Tan & 1947-06-12.
  6. ^ 同協会の事務所は後にシンガポール中華総商会英語版の建物に移転した(陳 & 1973-07-31)。

参考文献 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯1度16分53秒 東経103度50分46秒 / 北緯1.281442度 東経103.846173度 / 1.281442; 103.846173