呂 隆(りょ りゅう)は、五胡十六国時代後涼の第4代(最後の)天王。は永基。懿武帝呂光の弟の右将軍呂宝の子。

末主 呂隆
後涼
第4代天王
王朝 後涼
在位期間 401年 - 403年
都城 姑臧
姓・諱 呂隆
永基
生年 不詳
没年 弘始18年(416年
呂宝
衛夫人
后妃 楊皇后
年号 神鼎 : 401年 - 403年

生涯 編集

咸寧3年(401年)に第3代天王の呂纂が呂隆の弟の呂超らによって暗殺されると、呂超らに擁立されて即位した。しかしこのように不安定な地位のために天王としての力は無く、神鼎3年(403年)に後秦の文桓帝姚興による侵攻を受けて後涼は滅亡し、呂隆は文桓帝に降伏して長安に連行された。

弘始18年(416年)、文桓帝の次男であった広平公姚弼の謀反に巻き込まれて、病床にあった文桓帝の命令で殺害された。