呉 玉奴(ご ぎょくど、生没年不詳)は、南宋の高宗の妃嬪。
開封府の人。高宗の皇后呉氏(憲聖慈烈皇后)と同族である。母は裴氏。
高宗は父の徽宗と同様に多くの妃嬪などを抱えたが、父とは違い彼女らへの封号の賜与はささやかであった。紹興10年(1140年)9月、玉奴は高宗の紫霞帔[1]を務めた。紹興13年(1143年)6月、紅霞帔に進んだ。紹興19年12月(西暦で1150年)に新興郡夫人に封ぜられ、紹興22年(1152年)5月に才人に上った。
紹興28年(1158年)7月14日、玉奴は実家へ追い返された。紹興30年(1160年)、皇宮に召され、才人に復された。
- ^ 皇帝の身分低い側女。御侍、紅霞帔より下で、品位がなかった。