和尚と小僧(おしょうとこぞう)は、日本の民話類型のひとつである。

概要 編集

和尚小僧」の民話の分布は全国的で、一説に子供の多くがなどで勉強するようになった中世頃に起こり、江戸時代にはやったという。古くは、鎌倉時代中期の弘安6年(1283年)に成立した無住による『沙石集』や、同じく無住による『雑談集』にこの類型の説話が見られる。また、江戸時代初期の元和9年(1623年)又は寛永5年(1628年)に成立した『醒睡笑』にもこの類型の説話が収録されている[1]

稲田浩二の研究によれば、「和尚と小僧」譚には28の類型が存在するとされる[2]。その骨子は、頓智頓才のきく稚僧が俗気の抜けないけちな和尚を侮りからかい、閉口させることである。弱小な者の頓智が大人を操るのは痛快で、童話として喜ばれた。雪隠餅(落語では「みそ豆」として知られる)、毒物など、一休咄などの物語とも一部、錯綜する。

中でも食物に関するものが多く、これは寺院生活が食物に不自由したからであるという。たとえば、山寺にぼた餅あるいはの好きな和尚がいて、檀家から贈ってきたものを食べて残りを隠したが、小僧がこれを盗んで食べ、金仏の口にあるいは飯粒をなすりつけたが、帰ってきた和尚が容疑をかけられた金仏を打ち叩くと「くわんくわん」と鳴り、次に小僧が金仏を釜茹での拷問にかけると「くったくった」と白状したという。

あるいは、小僧に用事を言いつけてそのすきに焼き餅、団子、ご馳走などを食べようとするが、小僧はこれを見破って機会を見計らって逆に食べる。

あるいは、砂糖、飴、甘酒、梨などを毒物と聞いたのをいいことにこれを食べ、和尚秘蔵の花瓶などを割り、死んで詫びるために毒物を食べたと弁解する。同様の民話は朝鮮にも伝わっており、そこでは、毒物は串カキ()、器物はとなっている。

また、落ちていた財布を拾おうとして叱られたので、馬上から頭巾が落ちたのを拾わず、再び叱られて、つぎはウマのひりだした大便を拾うなどの滑稽を演じる。

ほかに、言葉の洒落、色欲の暴露などの話も多い。

脚注 編集

関連項目 編集