唐砧』(からぎぬた)は日本の箏演奏家、作曲家の宮城道雄が作曲した箏曲の楽曲である。作曲されたのは1913年で、宮城道雄が20代のはじめ、朝鮮に在住していたころ作曲した作品である。当初作曲年は1914年とされていたが、のちの調査で1913年の秋ということが判明[1]

概要 編集

宮城道雄の作品のなかではもっとも初期の作品のうちのひとつ。作曲当初は高低の箏2面と高低の三絃(三味線)2棹の構成であったが、後に低音三味線のパートは演奏されなくなった。宮城の作曲した最初の器楽曲であり、三味線を用いた初めての作品である。朝鮮在住時の作品としてはほかに、1909年に作曲された処女作『水の変態』をはじめ、『春の夜』『初鶯』『都踊』およびいくつかの童曲がある。『唐砧』はそのなかで唯一の器楽曲である。とは「砧は汚れを落とす洗濯の後の仕上げ工程で、皺を伸ばして艶を出すために布を打つ道具、もしくはその行為のこと[2]」であるが、宮城は朝鮮で砧を打つ音を聴き、「面白いと思って[3]」作曲したと随筆「朝鮮にて」のなかで述べている。

朝鮮に来て誰しも感じるのは砧の音であろう。殊に秋の夕方にあの音を聴くと何ともいえぬ感じがする。どこからともなく砧を打つ音がし始めると、そのうちに、あちらからも、こちらからも、聞こえて来る。あるいは早くあるいは緩やかに、流れるように、走るように、聴く人の心もまた、その調子に引き込まれるのである。
私が仁川から京城に移った頃である。夜になるとよくこの砧の音を聴いて、面白いと思っていた。それからちょっと思いついて作曲する気になったのである。 — 宮城道雄「朝鮮にて」[3]

西洋音楽の影響 編集

『唐砧』はまた、日本の伝統音楽の作曲の歴史のなかで、初めて洋楽を明らかにとりいれたものとされている[4]。とはいえ、この曲の楽曲形式は西洋のものではなく、和声においても西洋音楽の三和音の和声を使ってはいない。『唐砧』の楽曲形式は、伝統的な地歌手事物から歌を取り去ったような構成になっていて、「マクラ - 手事 - 中チラシ - チラシ」という形である。和音に関しては、4度、5度のものを主に使っているが、その使いかたには、伝統的な音楽のそれとは異なり、西洋音楽の影響を明らかに見て取ることができる。朝鮮在住時の宮城は、西洋音楽に興味をもち、軍楽隊の演奏やドイツのレコードなどを通じて西洋音楽に触れていたが、西洋音楽の形式や楽曲構成についての知識はもっていなかった[5]。こうした和声の使いかたで特徴的なのは曲の序の部分、手事のマクラにあたる部分である。それまでの近世邦楽にはみられない和音の使いかたがされており、4度、5度の和音を中心に経過的な不協和音も使用されている。

脚注 編集

  1. ^ 千葉潤之介・千葉優子『宮城道雄 音楽作品目録』〈財団法人 宮城道雄記念館〉1999年、3頁。 
  2. ^ 辻本武 (2006年6月1日). “朝鮮史に関する論考集 第66題 砧(きぬた)”. 2008年7月12日閲覧。
  3. ^ a b 「朝鮮にて」- 宮城道雄 著、千葉潤之介 編『新編 春の海 宮城道雄随筆集』〈岩波文庫〉。 
  4. ^ 吉川英史『日本音楽の歴史』創元社、1965年、444ページ頁。ISBN 9784422700038 
  5. ^ 小野衛『宮城道雄の音楽』音楽之友社、1987年。ISBN 9784276133341 

参考文献 編集

  • 宮城道雄『雨の念仏』日本図書センター〈障害とともに生きる〉、2001年(原著1935年)。ISBN 9784820558903 
  • 宮城道雄 著、千葉潤之介 編『新編 春の海 宮城道雄随筆集』岩波書店〈岩波文庫〉、2002年。 
  • 小野衛『宮城道雄の音楽』音楽之友社、1987年。ISBN 9784276133341