土井義尚
土井 義尚(どい よしなお、1942年 - )は、日本の禅僧、元陸上自衛隊の将官(陸将)。2022年現在、山梨県甲府市の限界集落にある曹洞宗・自性院(山梨県甲府市高成町224)の住職を務める[1]。
どい よしなお 土井 義尚 | |
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生誕 |
1942年??月??日 日本 山梨県 |
出身校 | 防衛大学校 |
職業 | 禅僧 |
学歴
編集防衛大学校機械工学科卒。
履歴
編集1961年山梨県立甲府第一高等学校卒、1965年防衛大学校機械工学科を卒業後、陸上自衛隊に入隊する。その後幹部自衛官として順調にエリートコースを歩み、スウェーデン防衛駐在武官、武器学校長、技術開発官、補給統制本部長等を歴任し、陸将にまで昇進する。1999年定年退官の後、周囲の驚く中一念発起して僧侶を目指し曹洞宗大本山永平寺に上山し、一介の雲水として若い修行僧と共に厳しい修行に耐え抜きついに得度する。同山を送行後2001年に『日本地雷処理を支援する会』を創設し。理事長に就任し、2008年に開設されたアンゴラ事務所の現地代表兼地雷処理専門家を勤める。2022年現在山梨県甲府の限界集落にある寺院・自性院の住職を務めている。
人物
編集陸上自衛隊幹部学校生時代に、防衛大で学んだ機械工学の知識を活用して校内に設置されていた缶コーヒーの自動販売機に細工し無料でコーヒーが出るようにして仲間に振る舞ったことが発覚し大問題となる。一時は退校処分まで検討されるが当人の将来性を嘱望した校長の恩情により大目玉を食らうことで事なきを得る、といったやんちゃな側面も持つ[2]。自衛官時代は国際連合平和維持活動の一環としてアンゴラ共和国に派遣され4年間地雷除去を指揮する。永平寺を送行後、僧籍のまま小松製作所の顧問となる。その時国際協力機構(JICA)の職員として出向していた元部下の進言によりカンボジアで地雷処理のNGO(非政府組織)の結成を決意し2002年7月、「日本地雷処理を支援する会(Japan Mine Action Service:JMAS)」を創設し理事長に就任し、2006年に地雷処理活動を開始する。2022年現在住職を務めるが、DVの被害にあった女性を救済する駆け込み寺「一福寺」の創設を目指して計画中である[2]。
雑誌論文
編集- 「陸将住職の『行状記』(1~24)『軍事研究』 55(4)~57 (3), 2020-4~2022-03
- 「官でもない 民でもない そう(僧)でもない」『月刊JADI』(644) 24-39, 2001-01
- 「緊急展開能力と弾道ミサイルの近代化--中国の軍事態勢・地上軍ほか」『じゅん刊世界と日本』(955) 51-65, 2001-09-15
- 「元自衛官が振り返ったPKO」『Securitarian』 (529) 26-28, 2002-12
- 「私のライフワーク 連隊長、僧となりて不発弾処理に奮戦す」『時評』 48 (1), 98-103, 2006-01
関連項目
編集- 日本地雷処理を支援する会
- 村上光照 - 京都大学で湯川秀樹のもとで素粒子物理学の研究に従事した経験を持つ異色の禅僧
外部リンク
編集- 土井義尚 (yoshinao.doi.7) - Facebook
- 土井義尚 (@iq7Or54RyLeTuyb) - X(旧Twitter)
- チョイ聞き)江川紹子×土井義尚「ラジオの街で逢いましょう」より『RadiodaysTube』 - YouTube
脚注
編集- ^ 「土井義尚講師の講座紹介」『甲府市生きがい発見・応援サイト』2022-11-3
- ^ a b “自衛隊「元陸将」はなぜ住職になった?限界集落の無人寺で活動する理由”. Diamond online (2022年11月23日). 2022年11月28日閲覧。