堀本 禮造(ほりもと れいぞう、1848年2月7日(弘化5年1月3日) - 1882年(明治15年)7月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉[1]。
土佐藩出身。朝鮮日本公使館付き護衛として漢城(現在の韓国ソウル)に勤務[2]。朝鮮政府にこわれて軍事訓練を指導したが、1882年7月23日に発生した反日クーデターの壬午事変で殺害された[2]。
1907年、正五位を追贈された[3]。