堀鶴千代

日本の江戸時代初期の大名。越後福嶋藩主堀秀治次男で、越後蔵王堂初代藩主堀親良養子。蔵王堂藩2代藩主

堀 鶴千代(ほり つるちよ、慶長3年(1598年)? - 慶長11年(1606年))は、江戸時代初期の大名越後国蔵王堂藩主。堀秀治の次男。堀忠俊の弟。

叔父の堀親良の養子となる。1602年、養父・親良が秀治や堀直政と不仲になり隠居したため、家督を譲られる。しかし1606年に9歳ほどで夭折した。嗣子が無かったため、断絶となった。鶴千代の有していた蔵王堂藩3万石は、鶴千代の後見人である堀直寄坂戸藩に編入された。