外山 正成(とやま まさなり)は、戦国時代の武将。徳川家康に仕えた。
永禄3年(1560年)より徳川家康に仕える。永禄11年(1568年)掛川城の戦いでは敵首級を得る武功を立てる。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いでは石川数正の部隊に所属し、山県昌景などの部隊と交戦。敵将へ一番槍を入れ、渡辺守綱がこれを討ったが、首級は上げられなかった。その撤退戦の最中に戦死。