多治比 牛養(たじひ の うしかい、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。官位は従五位上・備後守。
天平9年(737年)藤原四兄弟没後の新体制人事において、牛養は従五位下に叙爵し、翌天平10年(738年)右少弁に任官する。天平12年(740年)従五位上に叙せられると、のち民部大輔に任ぜられる。天平14年(742年)の聖武天皇の紫香楽行幸では装束司及び後方の次第司を務めた[1]。
天平17年(745年)鎮西府を改めて大宰府が再設置されると、大弐・石川加美に次いで大伴三中とともに少弐に任ぜられる。天平19年(747年)備後守に転じた。
『続日本紀』による。