大原羑子
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2015年7月) |
大原 羑子(おおはら ゆうこ ”ゆうこ”の”ゆう”は、”美しい”の上部分の下に”久”、1943年3月22日生まれ)は、ファッションブランド「燐 Rin」のパタンナーを務める。
略歴
編集- 1995年9月 「貝殻の標本~死装束の展覧会」(東京 文芸坐ル・ピリエ)「私は死んでも好きな服が着たい」この考えをもとに記憶の抜け殻としての服(死装束)を発表。コンセプチュアル・アートとして様々な物議と反響を得る。
- 1998年 千葉 国立歴史民俗博物館にて「死装束を用意するということ」講演。
- 1999年6月 「ファッションコラボレート・BIRTH」(福岡西鉄ホールプロデュース)帽子デザイナー、田中重子氏とのコラボレート・ファッションショーに洋服パタンナーとして参加。
- 1999年6月 ファッションブランド「燐~Rin」パタンナーに。
- 1999年12月 貝殻の標本がNHKドキュメントにっぽんにおいて「旅立ちはドレスで」というドキュメンタリー番組となり、多大な反響を得る。
出典
編集- 『ドキュメントにっぽん 旅立ちはドレスで』日本放送協会、1999年12月10日 。[1]
- 椿ラボ[2]
脚注
編集外部リンク
編集- 「燐 Rin」