大塩 秋平(おおしお しゅうへい、1852年9月4日嘉永5年7月21日)- 1927年昭和2年)6月21日)は、日本の酪農家である[1][2]。旧姓は滝田[1][2]

経歴・人物

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因幡の生まれ[1][2]。同地産の牛乳の生産および全国への販売の普及に尽力するために[1]1877年明治10年)に鳥取で初の乳牛の飼育を開始した[1][2]1880年(明治13年)には搾乳にもあたり[1][2]1884年(明治17年)には同郷の矢部宣一郎水田平八[3]伊井源治郎らと共に湊山搾乳所で10頭の乳牛の搾乳に携わる[3]

これによって1886年(明治19年)には同地で飼育される乳牛が31頭に増加させることを成功し[3]、後に加工食品であるバターおよびチーズの製造にもあたった[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 大塩秋平”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2024年3月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 大塩 秋平”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2024年3月25日閲覧。
  3. ^ a b c 鳥取県畜産発達史|書籍・論文・その他刊行物”. 一般社団法人 Jミルク. 2024年3月25日閲覧。